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2006/05/01

小さき勇者たち ガメラ

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 普通ならば「ガメラ~小さき勇者たち~」とくるのが自然だろう。しかし本作はこのタイトルでいいのだ。間違っていない。何故ならこれは怪獣映画ではない。明らかに子どもの成長譚だからだ。すなわちガメラそのものは単なる舞台装置であって、主人公はあくまで子どもなのである。その意味ではこの作品、成功していると云っていい。

 昭和40年から始まった、いわゆる「昭和ガメラ」シリーズ7作品は、最初の2作を除くと、完全に「子ども向け怪獣映画」だった。そこから少し離れた8作目に至ってはほとんどバラエティ番組のノリである。それから15年後の、いわゆる「平成ガメラ」3部作は、よく大人向けと表現されるが、オレは違うと思っている。3部作共通の監督である金子修介の為人からしても、あれは「マニア向け」、あえて云えば「オタク向け」であったとつくづく思う。いや、ケナしているのではないのだ。むしろオレはあの3部作を高く評価している。

 そこで本作だ。松竹配給は便宜上の問題だ。角川資本による7年ぶりの映画化。監督に指名されたのは田﨑竜太。戦隊シリーズの助監督からいったんアメリカへ渡り、パワーレンジャー(戦隊シリーズのアメリカ版リメイクの総称)を監督した後、日本への復帰第1作が「仮面ライダーアギト PROJECT G4」だったという人物だ。むろん彼は考えたろう。過去の「大人の怪獣映画」→「子ども向け怪獣映画」→バラエティ→「オタク怪獣映画」という流れを。直接的な「対戦相手」は、明らかに平成ガメラ3部作だったはずだ。彼は死んでも同じアプローチはできないと考えたに違いない。といって、昔の「子ども向け怪獣映画」というアプローチが、そのまま現代も通じるとは考えまい(そのはずだ。普通の神経を持っていれば)。そこで彼が出した答が、「怪獣映画」部分の排除になったのは、ある種必然であったとすら云える。

 そのアプローチが正しいか否かは、ちょっと判断できない。オレとしては出来あがった映画でしか評価できない。そこで、だが……まずハシゴをかけるパートである。「子どもの成長譚」に特化した本作は、それ自体の意味としては成功してると思う。それは、子どもが見て楽しめるかどうか、ではなく、オジサンが見た「子どもの成長譚」としては、非常に楽しめた、という意味だ。だいたい子どもを使う時点で卑怯である。ティガ最終回で号泣するオレとしてはあからさまにウルッときてしまった。惜しむらくは最後ガメラが火球を吐くとき、子どもたちが一緒に「ヤーッ」と……あ、いやいや。
 脚本は龍居由佳里。オレは知らなかったが、テレビドラマでは結構有名な人なんだそうだ。話の構成としても、最初につかみ部分を持ってきた点は評価できる。ああしておけば30分くらいは退屈なシーンがあっても我慢できる。そのうち成長してくるガメラに目がいくので退屈させない。そう、つかみがOKなら大抵の物語はうまくいく。しかも冒頭つかみ部分は、その後の重要な伏線ともなっているから、なお良い効果を与えている。

 ここからハシゴをはずすパートである。
 前述したように、「子どもの成長譚」としての本作は、評価して良い。だが……。あのなぁ? タイトルに一部でも「ガメラ」って入ってたら、こっちは怪獣映画を期待しちゃうわけよ? そこを裏切られちゃうと、それだけで評価が下がるのはあったりまえじゃーん。
 いや、別に怪獣映画としての出来が決して悪いわけではない。しかし、やっぱりメインの作り方をしていない以上、目が行き届かなくなるのは当たり前である。確かに「33年前の事件」と、その後の「巨大生物審議会」といった設定は秀逸だが、であるが故に、ちゃんと説明されていないのが納得できない。重きを置いてないもんだから、警察も自衛隊もいったい何やってんだかっていうような描き方しかされない。田口トモロヲがどっかの中央官庁の「審議官」役で出てくるが、一体どこの役所だ? 審議官ごときが「大臣はまだか?」なんて訊く役所、ありえんぞ。要するに主人公やその隣人の家族は別として、それ以外の大人たちが単なる記号としてしか扱われていないからこうなる。前述したように、それは「子どもの成長譚」としては正しいアプローチなのだが、怪獣映画としては明らかに描写不足なのである。パンフレット見れば分かるが、ガメラ、ギャオス、ジーダス(っていう怪獣が出てくる)それぞれの「発生」原因が語られていない。設定上、2作目、3作目もありそうだから、後で説明すんのかな? でも同じキャラクターでは描けないだろうなあ。

 ただね、後から思ったんだけどさ、最初のつかみパートって、ある種のオマージュとも考えられるわな。時代も場所も違うけど、ほぼ「ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒」ラスト場面の直後と考えれば筋が通る。
 ひょっとすると田﨑竜太は、「子どもの成長譚」と「怪獣映画」の両立を夢想したのかもしれない。それは、本作ラストの主人公の科白に現れている。しかし、だとすれば効果的に失敗しているし、仮に成功するのであれば、田﨑竜太では実力不足だろう。

 決して嫌な作品ではないだけに、非常に残念である。

 ところで。オレの誤解かな? 事前に聞いてた話では本作、大森一樹監督作品だとばかり思ってたのだが。もしも実現していればもっとヒドくなっていたろうから、そこは不幸中の幸いであった。
 したがって「子どもの成長譚」の成功に80点、「怪獣映画」の効果的失敗にマイナス20点、大森一樹を起用しなかったことに23点を献上したい。

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