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2006/08/05

日本沈没

32

 有楽町・有楽座にて鑑賞。33年前のあの作品のリメイクである。いや、前作のシャシンのリメイクとういよりは、小松左京の原作を改めて撮りなおした――つもりなのだろう。いやもぉひどいもんだ。鑑賞途中で時計をみたのは久しぶりだ。

 話は、そりゃもぉタイトルの通り日本が沈む話なわけだが、前作や原作にあった理屈(プレートテクトニクス)だけでは飽きたらず、その後の地質学的知見からメガリス(昔は〝マントル溜り〟と呼ばれていた)の崩壊、デラミネーション(地殻の下部が剥がれてマントルに落ちる現象)を加えた。さらに珪素を吸収して成長する架空のバクテリアを設定することで、プレートの沈み込み、メガリスの崩壊、デラミネーションを連動させ、日本沈没という「現象」に加速感を与えている。地質学的に考えてこれほど短期間でプレートが移動することはありえないのだが、まぁそこはフィクションとして十分に説明がなされている。その点は感心してしまった。もっともこのところのサスペンスやミステリーだと、科学的な理屈づけに「ご都合主義のバクテリア」を持ち出すのが流行のようになっているから、さほど目新しいものでもない。困ったときのバクテリア頼みというわけだ。
 前作ではこうした理屈を竹内均先生自らが明確に説明してくれたわけだが、もはや先生は亡く、今回はインド人の学者と田所教授(前作で小林桂樹、今回は豊川悦司)が説明する。このあたりは練られているだけあって非常にスムーズな展開だった。

 ところが、日本が短期間で沈没することが分かってからの話の展開が、どうにも退屈だ。視点というか流れは3つに分かれていて、1.政府首脳部の対応、2.田所教授を中心とした「海」の人々、3.逃げまどう市井の人々、からなる。これらが有機的に連動し、複雑に絡み合ってくれればいいのだが、個別バラバラ。作る前のジグソーパズルを見ているかのようだ。一応、話としては、1と2をつなぐのが大地真央と豊川悦司、2と3をつなぐのが草なぎ剛ということになろう(1と3をつなぐものは何もない)。しかし、実は何もつなげてはいない。
 結果、どうなるかというと、キャラクター個々の動機が理解できなくなる。柴咲コウは「いつ」草なぎくんに恋愛感情を抱くようになったの? 草なぎくんは最初やる気なかったのに、なんで「救う」気になったの? 普通ならこうした疑問が、映像と話の展開によって語られるというか自然と染み入ってくるものなのだが、何せバラバラのパズルなため説明されても(してないけど)しっくりこない。その他のキャラクターも、自分の持ち場もちばではそれなりに説得力ある演技をするし、個別シーンごとには間違った演出もない。それが組み合わさると、途端に説得力をなくしてしまう。

 仮説を立ててみようか。まず、個別のキャラクターの心情を描くには時間がなかった(尺が足りなかった)としてみようか。であれば対応策は簡単だ。テーマを削ればいいのだ。前述した3つの視点というか流れのうち1つを削る。例えば1と2だけにしてしまう。つまりスペクタクルとして沈没を描くことに徹し、市井の人々は背景的な扱いにおさめてしまえばいい。そのほうが政府首脳や「海」の人々が、それぞれに携わる心理状態が真に迫ってきていたはずだ。あるいはスピルバーグが「宇宙戦争」で用いたアプローチも有効だ。つまり3だけにしてしまい、市井の人々だけだから得られる情報量が極端に少なく制限された世界観のなかで主人公たちが右往左往する。これもきちんとキャラクターの心理を描くことができる(何せそれしか手段がないんだから)。
 要は、欲張りすぎなのではないか、と思うのだ。何でもかんでも詰め込みすぎ。結果的に全てが散漫になってしまったような印象ということ。すると、見事なはずの特撮による沈没シーンも、だんだん飽きてきてしまう。オレが途中で時計を見たのはこのあたりだ。

 もう1つの仮説としては、同じ尺のなかで同じボリュームであっても、表現しきれるだけの脚本あるいは演出の実力がなかったということが指摘できようが、しかしこれはより高度な話なのであって、上記のような尺の問題をすら解決できていないような現場に求めても無駄なことだ。

 したがって樋口真嗣が随所に配した「遊び」も、ひどく子どもっぽい、悪ふざけの類にしか見えなくなってしまう。

 監督が樋口真嗣なだけに、真にエンターテイメントに徹した展開を望むなら、とりあえず草なぎくんと柴咲コウは不要。豊川悦司を主人公に据えたまま、沈没しゆく日本とそれを食い止める側のタイムサスペンスを狙ってはどうか。であれば、スタッフロールが終わった後で、海面に浮かびあがってきた2つの「わだつみ」から出てきた及川ミッチーが「死ぬかと思った」っつって終わるっていうほどの崩し方だって許される。あくまで、それだけ脚本にパワーがあれば、の話だが。悪口ばかりになったが、話のアレンジとして良い点も結構ある。例えば優秀なリーダーをいきなり失くさせてしまうというアイデアはなかなか。プレートを破壊して引っ張り力を無効化するアイデアもいいし、「わだつみ2000」に気づくシーンはちょっと感心した。もっとも、そっから実際のシーンまで間が空くもんだから、せっかくのシーンが台無しにはなったが。

 個別の役者は非常にいい演技をしていた。大地真央はちょっとどうかと思ったが、豊川悦司はさすがの一言。柄本明もなかなか。もっとも今回最大の収穫は、及川ミッチーの新境地開拓であろう。いや、素晴らしいぞ、及川ミッチー。歌は聴いたことないが演技では認めてやるぞ。あ、「キューティーハニー」で歌ってたっけ。2番はなかったけど。

 以上から、前作に対する評価を基準に1点を差し引いて32点とした。差し引いた理由は脚本でも演出でもない(それは前作とさして変わらんから)。竹内均先生が出ておられないことへの不満だけだ。こういうときこそCG使えばいいのに。

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