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2006/10/29

太陽

 22日、銀座シネパトスにて鑑賞。銀座の映画館で今夏あたりからやっていたサービスで貯めたスタンプで1回ロハになったもの。

 最初に断っておく。オレは、映画というものは芸術とイコールではないと思っている。もちろん1要素としての芸術性は否定しないが、何より「興業収入」が前提的なバロメーターである以上、興業、すなわちエンターテイメントでなければ映画とは呼べないと思っている。ハダカが出てくりゃ、それは芸術ではなくエロだ。エロという名のエンターテイメントだ。美しいハダカだぁ? それこそがエンターテイメントなのだ。決して芸術ではない。「芸術のためなら脱ぎます」? そりゃあんた、騙されてんだよ。エロに決まってんじゃん。いや、オレの感覚だ。否定しても無駄。説得も受け付けない。知ったことか。

 故にオレは、主にヨーロッパの映画を好んでは観ない。大抵は映像美だの芸術性だのを云々する作品が多い(当社比)故だ。もちろん全部が全部ではない。これだけスノッブなオレが評価する作品は、ヨーロッパにも数多くある。ただ傾向として、どうやらヨーロッパ作品にはどうにも鼻持ちならない、スカした作品が多いような気がしてならない。この場合のヨーロッパとは、冷戦時代で云う東西を問わない。したがって旧ソ連、すなわち現在のロシアやバルト3国も含んでいる。「映像詩人」などともてはやされたアンドレイ・タルコフスキーですら、オレに云わせりゃ単なるピー(自粛)である。オレが評価するとなると「ソラリス」くらいのものだ。

 そのため本作は、「ロシアの鬼才」と称されるアレクサンドル・ソクーロフが監督と聞いて、嫌な予感がしてはいたのだ。タルコフスキーと云えば、母国を追われ、亡命を繰り返しつつ複数の国で映画を撮り続けた人物だ。内容はともかく、その情熱と努力には頭が下がる思いがする。しかし現在のロシアで思うままシャシンに埋もれ、もてはやされているソクーロフごときが、何ほどのものだというのか。

 それはそれとして、作品そのものは正当に評価されねばならない。もちろんオレのモノサシで、だ。

 さて本作は、ロシア・イタリア・フランス・スイス4か国の共同制作(スタッフロールにはやたらと各国のTV局の名前が並ぶ。どこの国も同じなのね)による昨年度の作品である。結構話題になっているのでご存知の方も多かろうと思うが、終戦直前から人間宣言までの、昭和天皇の「日常」を描いた作品と云える。したがって制作4か国その他での公開はされたものの、少なくとも日本での公開は無理だろうとされてきた。そこを小さな映画会社が買い付け、単館で公開したところ口コミで広がり、今や都内に限らず複数の劇場で拡大公開されるようになった。
 終戦直前、皇居地下壕で日常を送る昭和天皇の姿から話は始まり、無条件降伏受諾を提案する御前会議、マッカーサーとの会談を経て人間宣言までが描かれるのだが、例えば玉音放送のシーンはないし、ポツダム宣言受諾の調印もない。つまり、あくまで天皇自身の側から、プライベートな部分のみが語られていくと云っていい。しかし……。

 冒頭で芸術性とエンターテイメントの話を持ち出した点にかかわってくるのだが、本作を見終わった直後のオレの率直な感想は、「理解不能」だった。果たしてこれは何なのだ? 芸術とかいうものか? それとも娯楽か?
 娯楽だというなら、史実に忠実に描く必要はない。それはそうだ。しかし、本作はとても娯楽性に富んでいるとは思えない。では芸術か? だとすると何を訴えたかったのか? それに芸術作品だとするなら、これほど現実と乖離した描き方はどうだ。

 まず御前会議の描き方だが、これはオレの記憶違いかもしれないが、天皇と内閣陣の配置(席順)が違うし、果たして天皇があんな比喩的な話し方をしたかどうか。筆耕係(書記)のポジションがおかしいし、マッカーサーのとこへ向かうのに焼け野原を車で進む必要があるとは思えない。だってGHQ(現在の有楽町にある農林中金・第一生命ビルのあたり)であれアメリカ大使館であれ、皇居のどこの門からでもすぐ先ではないか。それから天皇とマッカーサーの会談は確か十数回行われたはずだが、本作では2回だけ。確かに首相を伴っていたが、会談そのものは通訳を除けば当人たちのみだったというのも確かだが、そこで話された中身については公式な記録がない。あるのはマッカーサー自身の回顧録のみだから、その中身については諸説ある。特に天皇自身が自らに罪があると云ったかどうかについては相反する2つの説があるはずだ。チョコレートのシーンは確かに記録があるが、詳細はもちろん異なっているはず。

 これがエンターテイメントだというなら、事実と相反することを描いても構わない。むしろ嘘をつき足りないくらいだ。しかしそうでないなら、可能な限り史実に忠実でないと制作意図に反するのではないか。

 いったい何を描きたかったのだろうか。

 オレが最も危惧したのは、これを観た若い客が「そういうことだったのか」などと誤解してしまうことだ。こういう売り込み方をすればそりゃそうなるわな。各種の評論やコメントを見ると、確かにそのような傾向にあるような気がする。
 総体として、ある程度は日本の近代史を分かっていないとストーリー展開を理解できない内容になっている。これがまず外国で公開された意味は何か。これが最初から日本でのみ公開するという意図で作られたのなら、逆によく理解できる。それなら話題性のみが先行し、興収も高められよう(事実、そのようになっている)。すると別に史実に忠実に作るなどというしちめんどくさいことも必要なくなる。ナマズ、「あ、そう」などといった昭和天皇を形成するスノッブな要素だけを寄せ集めてテキトーに作ればいいのだ。
 もしも本当にそういう作り方をしていたのなら、むしろ褒めてあげたいくらいだ。何故ならプロモーション、商売としては全く間違っていない、むしろ有能であるとすら云えるからだ。それが証拠に、大した出来でもないのにパンフレットが1,000円。どこまでフザけてるんだ。

 役者は、昭和天皇にイッセー尾形。いろいろ批判もあるようだが、オレは感心した。マッカーサーにロバート・ドーソン。似ていない。せめて似せる努力くらいはしてもいいのではないか。侍従長に佐野史郎。恐らく今回もっとも好演している。皇后に桃井かおり。これは評価の分かれるところだろう。
 御前会議の面々は、阿南陸軍相を演じた六平直政以外は、割と無名だが一応ちゃんとした日本人の役者ばかりを使っている。鈴木首相に守田比呂也、米内海軍相に西沢利明、木戸内相に戸沢佑介、東郷外相に草薙幸二郎、梅津陸軍大将に津野哲郎、豊田海軍大将に阿部六郎、安部内務相に灰地順、平沼枢密院議長に伊藤幸純、迫水書記官長に品川徹。

 脚本はユーリー・アラボフ。まずここに問題があるが、音楽がアンドレイ・シグレ。これが大問題。うるさいし無意味な音楽。それとSEがうるさい。たとえて云うとブレードランナーのバックの音みたいなもん。意味ない。
 それと、エンターテイメントとしても芸術作品としても失格な点がある。「記録」をおろそかにしている点だ。百歩譲って奇妙なアップを多用している点は演出手法だとしても、そのアップからロングにカットを切り替えた段階で表情を維持できていない。これはもう映画ですらない。こういう愚かな監督をオレはもう1人知っている。オリバー・ストーンである。

 最後に1つだけ。
 オレは天皇制に対して、是でも非でもない立場をとっている。そういうこととは別にして、やっぱりあんまり同じ日本人が莫迦にされているのを見て面白かろうはずはない。いや、本作の場合、ソクーロフはむしろ昭和天皇に対して好意的な視線で描いているのだが、1つだけとても不愉快になったシーンがあった。昭和天皇が米軍から写真を撮られる場面だ。アメリカ兵たちは何やらはやしたてるように写真を撮るのだ。あの態度を見ていて思った。「アメリカって今も昔も変わらねぇんだな」と。不躾。失礼。人の気持などお構いなしに様々なものを押しつける。文化も牛肉も。またそれを日本人もありがたがって受け入れる。今の若造どもを見ろ。まるでアメリカ人みたいだ。不躾。失礼。人の気持などお構いなしに様々なものを押しつける。

「欧米か!」

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