« 序数 | トップページ | 日本以外全部沈没 »

2007/01/07

007 カジノ・ロワイヤル

97

 4日、サロンパス・ルーブル丸の内にて鑑賞。作品の内容に入る前にいくつか。

 まず事情があって開始時間よりかなり前に着いたため、どうせなら100円でも安く観ようと、有楽町近辺でチケット屋を探すが、松がとれたばかりのこの時期では開いているチケット屋などあるわけもない。隣の新橋ならばとJRに乗りかけたが、同行者(つまり奥さん)に「安く観るためチケット屋を探すのに電車賃を使うのは本末転倒」である旨を指摘され、歩いて新橋へ。
 途中、空を見上げると、何かの皮肉のように晴れており、綺麗な飛行機雲が流れていた。

070104_15290001

 新橋で無事「前売り券」をゲット。再び歩いて有楽町へ。

 さて、件の劇場なのだが、珍妙な名称になっているのは、ネーミングライツ契約によるものらしい。「グリーンスタジアム神戸」が「ヤフーBBスタジアム」→「スカイマークスタジアム」と名前を変えてきた、あれである。「ルーブル丸の内」(東急系)が一昨年末にオープンした際、久光製薬との間でネーミングライツ契約を結んだ結果、「サロンパス」の名を冠したわけだ。ちなみに映画館のネーミングライツ契約は日本初だそうだ。
 マリオン新館の7階にあり、劇場内に足を踏み入れた途端、湿布の匂いがする(ホントよ)。本来であればグッズなどを売っているショーケース内には、ちゃあんとサロンパスが売られている。上映が始まってからのCMは、サロンパスのCMがかかる。しかもTVで観られないレアなバージョンだそうだ。何のありがたみも感じないが。
 PAは文句なし。スクリーンは高すぎるが、これは最近の劇場の共通項なので不問とする。座席の前後の間隔が広いのはありがたいが、左右の間隔はさほど広くない。まぁ要するにサロンパスを売ってること以外は普通の劇場である。ただし、完全な全面禁煙になっていて、外に出ないと煙草は吸えない。しかしワンフロア全てが劇場になっているため、別フロアかマリオン本館に移動しなければならない。ましてや全面禁煙の千代田区内のため、屋外でも吸えない。
 劇場内が禁煙なのは火災予防条例を持ち出すまでもなく当たり前だが、せめて喫煙スペースくらい設けてもらえないものか。あえて云わせていただければ、

久光製薬は喫煙者を差別しているということだな?

 よーく分かった。二度と行くことはあるまい。

 ようやく作品の内容である。

 本作はイアン・フレミング原作シリーズの第1作を映画化した作品だ。なおかつショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビー、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナンに次ぐダニエル・クレイグの6代目「ジェームス・ボンド」デビュー作にあたる。このへんの経緯やオレ自身の懊悩についてはすでに記した通り。→http://kiku-gumi.air-nifty.com/zasshoko/2006/12/post_413d.html
 故に本作に対するオレのアプローチは、ごく普通に映画の出来としてどうかということもあるが、もう1つ、ダニエル・クレイグがジェームス・ボンドとしてどうか、という視点にもポイントがある。結論から先に云ってしまうと、出来に対するオレの評価は冒頭の点数の通り。ダイニエル・クレイグについては……「判断保留」とさせていただく。

 映画におけるジェームス・ボンドというキャラクターの年齢(生年)は、ショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビー、ロジャー・ムーアまでだと「1920年代」に設定されていた。ティモシー・ダルトン以降は、演じる役者の実年齢をそのままジェームス・ボンドの年齢に採用している。
 かつて「4代目」ジェームス・ボンドにティモシー・ダルトンが起用された際、ボブ・グリーン(シカゴ・トリビューンのコラムニスト)は「ジェームス・ボンドがぼくより年下になってしまった」と嘆いていたが、その伝を借りるなら本作のダニエル・クレイグによってついに、ジェームス・ボンドはオレより年下になってしまったのである。
 この感覚は微妙だ。ジェームス・ボンドはオレにとって、決して憧憬の対象ではないものの、常に「恰好良い年上」ではあったのだから。とはいえダニエル・クレイグは外見上、オレより年下には見えない(そりゃそうだ。そこは日本人と欧米人の違いだろう)。

 何やら勘違いされている向きもあるようだが、本作はこれまでのシリーズにおけるジェームス・ボンドの過去を振り返る話ではない。そうではなく、ダニエル・クレイグ演じる新たなジェームス・ボンドのシリーズ第1作である。確かにM役として前作までのジュディ・デンチが登場はするものの、彼女はあくまで別のMなのだと理解していただきたい。事実、前シリーズまでのMと本作のMでは、明らかに性格設定が異なっている。また新たなシリーズのスタートであるが故に、これまでのシリーズ常連であったミス・マネーペニーやQは本作に登場しない。
 この、新シリーズのスタートを印象づけるためか、これまでのシリーズで恒例であった部分を変える作業にも意欲的に取り組んでいる。例えば主題歌には「英国」を印象づける歌手を起用することが恒例で、今回もクリス・コーネルを起用しているのだが、その主題歌が流れるオープニング・タイトルを一新した。これまでは女性のシルエットを使うのが恒例だったが、本作では全く異なる映像を用意している。また、これまでのシリーズだとガンバレルのシークエンス(ガンバレルの向こうを歩くジェームスがふいに立ち止まり、こちらに向かって銃を撃つと、ガンバレルがフラフラと落下していき、そのままワイプになって本編に入る)があって、本編に入っていたが、本作ではオープニング・タイトルに入る直前に使われている。というのもオープニング・タイトルに入る前の映像は全編モノクロで、ジェームス・ボンドが00ナンバーを得るための最後の条件をクリアするまでの経緯が描かれている。
 逆に、旧シリーズを引きずるものもある。例えば銃。ジェームス・ボンドの銃というとワルサーPPKだと考えている人が多いようだが、原作では最初、ベレッタM1919を使っている。ところが「ロシアより愛をこめて」のなかでベレッタが故障を起こしたため、次の「ドクターノオ」からワルサーに変えている。そう、映画と原作では順番が違うのだ。したがって映画の「ドクターノオ」ではMに命令されていきなりワルサーを使うというシーンが出てくる。映画では以降、ずっとワルサーPPKを使い続けるが(一度だけ『オクトパシー』でワルサーP5を使っている)、「トゥモロー・ネバー・ダイ」以降はワルサーP99に変わっている。本作でもワルサーP99である。ちなみにワルサーP99はワルサーP38(ルパンⅢ世が使ってたでしょ)の「正式な」後継銃だ。それから車だ。ボンドカーには新型のアストンマーチンDBSを起用しているが、面白いことにボンドがDBSを駐めた隣にアストンマーチンDB5(ショーン・コネリー時代のボンド愛用車)が並んでいるというシーンがあって、ニヤリとさせられる。
 ちなみに余談ではあるが、以前ソニーが別の007シリーズを始めようとしたことがある。これが本家・007シリーズを制作しているイオン・プロダクション(ブロッコリ一家)の逆鱗に触れ、法廷闘争に発展した。ところが後にソニーがMGMを買収したことから、ソニーは念願の007シリーズ参加を果たした。よほど嬉しかったのか、本作では、ノートパソコンがVAIO、携帯電話がソニー・エリクソンと、何ともまぁ分かりやすいものが使われている。

 これまでのシリーズだと、「原作:イアン・フレミング」というクレジットは名ばかりで、流用しているのはタイトルだけ、というケースがほとんどだったが、本作では驚くほど原作に忠実に作られている。

 話のほうは、枝葉を除くと、謎のテロ組織と通じる死の商人、ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)とボンドとの対決がメイン。ル・シッフルは某航空機メーカーが新型航空機をお披露目する際、テロで航空機を爆破、株価を下落させ、事前に空売りしてあった株との差額を儲けようと企むが、ボンドに阻止され、1億5,000万ドルの損失を被る。それを穴埋めしようと向かった先が、カジノ・ロワイヤルだった。MI6はカードゲームに通じているボンドを派遣、ル・シッフルの企みを阻止することで、テロ組織の炙り出しを画策する。協力するのはMI6の現地工作員マティス(ジャンカルロ・ジャンニーニ)、MI6と同じ目的で送り込まれていたCIAの工作員ライター(ジェフリー・ライト)、そしてボンドの財源となる財務省の調査員ヴェスパー(エヴァ・グリーン)。
 ……どうせ分かるだろうから書いてしまうが、もちろんボンドはゲームに勝つ。だが、そこからが長いのだ。
 原作もそうなのだが、プロットそのものはむしろ地味と云っていい。「ジェームス・ボンド映画にしては」地味だと云っておこう。ところが終盤になるとドンデン返しの連続になる。まぁ原作を読んでいなくても先を読むのは簡単ではあるが、何より緊張感を持続させる演出になっているため、飽きがこない。
 このへんは脚本の妙なのだろう。「ワールド・イズ・ノット・イナフ」と「ダイ・アナザー・デイ」でコンビを組んだニール・パーヴィスとロバート・ウェイドが本作でも三度コンビを組み、そこへポール・ハギスが加わり、3人の共同脚本になっている。ポール・ハギスはクリント・イーストウッドが惚れ込んだ脚本家で、「ミリオンダラー・ベイビー」、「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」と、やたらとオスカー作品が多い(自身が監督した『クラッシュ』もオスカー作品)。
 監督は「ゴールデン・アイ」以来のOO7復帰組、マーティン・キャンベル(『ゾロ』シリーズなど)。だが、褒めたいのは演出ではなく撮影だ。
 アクション映画としては見せ場が少ないように見えるが(例えばカーチェイスは一度だけ)、そこを補ったのがカメラワーク。撮影監督はフィル・メヒュー(『レジェンド・オブ・ゾロ』でマーティン・キャンベルとコンビを組んでいる)だが、恐らく第2班監督(助監督)としてアクション・シーンを担当したアレクサンダー・ウィット(『ブラックホーク・ダウン』、『ミニミニ大作戦』、『トリプルX』、『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』など。監督として『バイオハザードII アポカリプス』も)の手腕だろう。

 さて、以上のように本作に対するオレの評価は非常に高い。肝心のダニエル・クレイグがジェームス・ボンドとしてどうか、という点なのだが……。何せあの外見である。「金髪・碧眼のボンド」が初めてということもあるが、とてもではないがスラブ系っぽい顔が英国人に見えない。事実、00ナンバーを与えられるまでの冒頭のモノクロのシーンに始まり、ともかく最初のうちは「あえて無謀で破天荒な手段を選ぶ」姿に、とてもではないが従来のボンド像を当てはめるのは難しい。ところが話が進むうち、舞台が変化するせいもあって服装が洗練されていき、徐々にオレが馴れ親しんだボンド像に近づいていく。冷血漢のくせに我を見失い、単純なピンチに陥ったり、そこをギリギリで切り抜けたりと、「若さ」も強調される。そう、本作はジェームス・ボンドの成長譚ともとれるわけだ。そうして最後、スタッフロールが出る直前の本当に最後のカットで、「ダニエル・クレイグ as ジェームス・ボンド」が完成する。つまり 「My name is Bond, James Bond」と名乗るカットを最後に持ってくるわけだ。くーっ。 (←ネタバレなので伏せた。観てない人は本当にこの部分を読まないほうがいい。読めば後悔するぞ)

 しかし、オレが「判断保留」とした理由は2つある。1つは、原作どおりではあるものの、 史上最悪のジェームス・ボンド役者であるジョージ・レーゼンビー唯一の作品「女王陛下の007」と同じシークエンス、すなわちジェームス・ボンドの結婚 が描かれてしまう点(←ネタバレなので伏せた。観てない人は本当にこの部分を読まないほうがいい。読めば後悔するぞ)。もう1つは、本作があくまでジェームス・ボンド完成までの話であるとするなら、ルーティンとしての「ダニエル・クレイグ as ジェームス・ボンド」をまだ目にしていないおとになる。故に判断は、次回作に持ち越したいのである。

 それはつまり、ダニエル・クレイグへの多大なる期待の表明でもある。

|

« 序数 | トップページ | 日本以外全部沈没 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 007 カジノ・ロワイヤル:

« 序数 | トップページ | 日本以外全部沈没 »