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2007/01/30

たそがれ清兵衛

100

 見逃した作品をDVDでカバーしようシリーズ。
 いや、「武士の一分」を観ようと思って、そしたら藤沢周平+山田洋次シリーズを1作目から観なきゃいかんだろう(話につながりはないのでそんな必要はない)というA型的に無意味な「揃い」概念に従い観た次第。

 驚いた。こんなアプローチの時代劇がありうるのか。

 原作は確かに藤沢周平の短編「たそがれ清兵衛」だが、さらに「竹光始末」、「祝い人助八」も取り込んで1つの話に仕立て上げているため、原作とはテイストも設定も若干異なる。まぁ、そんなことは何の問題にもならない。

 舞台が幕末時代の庄内地方という、資料の現存しないものであるだけに、リアリティに徹しようと思うと必ずムリが生じる。生じるはずなのだが、オレから見て全くムリが見られなかった。

 主人公・井口清兵衛(真田広之)は、海坂藩の御蔵役。「たそがれ時に仕事を終えると真っ直ぐ自宅に帰る」(同僚と呑いに行ったりしない)ことから、付いた渾名が「たそがれ清兵衛」。ボケた老母と幼い二人の娘を抱え、労咳(結核)で死んだ妻の薬代や葬儀などで嵩んだ借金を返済する毎日。――と、ここまでは静かな話なのだが……。
 再会した親友・飯沼倫之丞(吹越満)から、その妹・朋江(宮沢りえ)の身の上話を聞かされる清兵衛。朋江が酒乱の夫・甲田豊太郎(大杉漣)にDVを受けていたため、やむなく離縁させていたとの由。ある晩、その甲田が酔って飯沼家に押しかけたところへ偶然いあわせた清兵衛が、倫之丞に代わって果たし合いの相手をすると勢いで宣言してしまう。果たし合いは御法度なのだが、清兵衛は木刀の小太刀一本で甲田を黙らせてしまう。
 海坂藩の藩主が若くして没した後、新藩主は旧体制に属する藩士の粛正を始める。その粛正される藩士の1人に、一刀流の使い手・余吾善右衛門(田中泯)がいた。余吾は切腹を命じられたが、これを拒否、討手を返り討ちにし、自邸に立てこもってしまう。これを討つよう新藩主が命じた相手が、清兵衛だった。実は清兵衛、若かりし頃に師範代を務めており、先般の甲田を倒した腕もあって、白羽の矢が立ったのだ。渋る清兵衛だったが、藩主の命とあれば断れない。やむなく余吾邸に向かう清兵衛。しかし実は彼の長刀は、借金の返済のため売り払ってしまっており、竹光だった。

 もっと静かな話だと思っていたら、驚くほどめまぐるしく揺れ動く話だった。といって、別に重苦しくはない。ただ、片時も目を離せない。冒頭から日常を丹念に描く作業にも目を奪われるのだが、どんどん事態に暗雲が立ちこめてくるあたりから胸を締め付けられる気がしてくる。それは、確かに役者たちの演技もあるのだが、確実に撮影というか演出の技量によるところが大きいと思わざるをえない。
 殺陣のシーンなどがダイナミズムに欠けるとの意見もあろうが、オレはそうは思わない。あれこそ殺陣だという迫力が確実にある。清兵衛が木刀の小太刀一本で甲田を倒すシーンは、ちょっとイーストウッドの「許されざるもの」を思い出した。それからラスト近くの余吾と清兵衛の対決シーンは、カメラワークと演出とが見事に連動した結果だろう。もちろん余吾を演じた田中泯もすごい。知らなかったのだが前衛舞踏の踊り手なのだそうだ。
 そう、田中泯に限らず、全編を通して感じられるのが、俳優たちの所作だ。殺陣に関しては、真田広之がキャスティングされた段階で何の心配もなかったが、そうでない日常のシーンなのに、みんながみんな舞を舞っているような美しさがあった。息を呑むのも仕方ない。

 ラスト、「その後の清兵衛」を語られるシーンには賛否あろうが、まぁあれはあれでいいのだろう。

 満足した、という意味ではなく、欠点が見つからないという意味で、満点とする。

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