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2007/02/05

目に見えぬ緩やかな価値観の転倒

 あんま仕事に関係する話は書きたくないのだが、まぁ仕方ない。ちょっと戸惑っている。

 まず、三菱ふそう、パロマ、シンドラーのエレベータ。こうしたケースは、交通事故など人的被害が出てから、多くは内部告発によってその企業体質が明るみに出た。しかし、企業そのものが倒産に追い込まれた例はない。

 次に、雪印や不二家。確かに食中毒などもあったが、報道されたのは人的被害が出る前だったし、少なくとも死者は出ていない。ただし、明らかに人的被害が出る可能性があったこと(細菌数とかね)は大きい。雪印は生乳事業を切り離し、全酪連・全農(ともに乳業関連で表示違反をやっている)と別会社を作った。業界内では「悪の秘密結社」と呼ばれている。メグミルクがそれだ。不二家は、どうやら山崎パン(雪印と前後してやっぱり食中毒事件を起こしている)が救済に乗り出すらしい。

 死者が出た事件を起こした企業が潰れず、死者を出さなかった企業が潰れた。この違いは何だろう?

 そこへ、「あるある」の納豆問題である。

 「ダイエットに効果がある、というのは嘘」。これなんて、人的被害は可能性も含めて一切考えられない。世間が問題にしているのは、報道メディアが嘘をついた点だ。いっしょくたにするほうがおかしいのだろうか?
 CXは単に放送した系列会社で、名義上の制作は関西TV。実際の制作は、関テレから委託を受けた日本テレワークが、さらに下請会社に委託した。したがって一番悪いのは、実際に制作した(関テレからすれば)孫請会社なのであって、日本テレワーク、関テレ、CXには間接的あるいは道義的な責任しかない。にもかかわらず、日本テレワークの社長は辞任したし、関テレもCXもお詫び放送を行った。

 これらのズレは何だろうか? もちろん、やったことは悪いし、処分を受けるのも結構なのだが、罪と罰との間に相対性が見いだせない。個別と云われればそれまでなのだが…。

 週刊誌なんて(オレは一切読まないが)、やたらと裁判に負けてお詫び記事やら広告やらを打ったり賠償金を払ったりしているが、いっこうに潰れない。それどころか、同じような捏造や根拠のない批判を繰り返しては、裁判に負けている。

 TVというメディアが特殊なのか?「あるある」は情報番組であって、報道番組でもバラエティでもない。伝える情報は正確でなければいけない? でも報道番組ですら、バラエティっぽく見せたり、冗談口っぽい報道の仕方もあるだろう。それはセンスの問題なのだが、それすら捏造なのか?「本気に受け取る人がいる」というなら、冗談なんて一切云えなくなってしまいはしないか?

 今は無理だが、しばらくしたら「あるある納豆」ってネーミングした商品は売れるんじゃないか――おや、これも不謹慎かね?

 三菱ふそう、パロマ、シンドラーのエレベータ、雪印、不二家。それから「あるある」全て最終的に告発したのはメディアの力だ。「ペンは剣よりも強し」という真実を持ち出すまでもなく、時にメディアは人を殺す。生活を破壊する。だから気をつけなきゃいけないのは当然だが、といってつまらなかったら見もしないし読みもしまい? どこで線引きすりゃいいんだ?

 ところで、公表されているのにあまり報道されない違反って結構ある。
 不二家の問題が大きすぎて影に隠れてしまったミスドのことを云っているのではない。
 例えばコメだ。

 通例、食品の表示はJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)に依拠している。安全性にかかわる面では食品衛生法のほうが重たいのだが、これは表示と直接関係してこないので置いておく。JAS法では、「生鮮食品」と「加工食品」の2つが柱で、どちらも原料の名称と原産地、製造年月日(あるいは賞味期限か消費期限のいずれか、または全て)を表示することが義務づけられている。ただし、生鮮でも加工でもない食品として、3品目だけは独自の表示基準がある。3品目とは、肉、魚、米だ。肉と魚は、それぞれ仕方ない側面がある。肉の場合、1つの原料(つまり牛、豚、鶏)をバラすため、最終商品形態から原料を追い切れないという特殊事情がある(BSEのため全頭検査が義務づけられたのは記憶に新しいところ)。魚の場合、原産地が問題になる。魚が穫れたところか水揚げされたところかの違いだ。故に肉と魚が生鮮でも加工でもないのは、まぁ食品の特性上、うなづける。ところが米の場合、その特性とは関係のないところで別枠の基準が設けられている。
 米の表示基準は、もともと独自の法律である食糧管理法(現在の食糧法)に規定されていた。そのうち、表示に関する部分だけを、ほぼそのままJAS法に移植してしまった。故にJAS法本来の生鮮や加工食品の基準に見合わなかったため、米独自の基準になったのだ。というのも米の表示基準では、原産地にとどまらず、品種や産年までもが表示範囲に含まれる(これら3つをあわせて『3点セット』と称される)。ただしこれは義務表示ではなく、任意表示だ。現実的には3点セットを表示しなければ売れないため、みんな表示する。表示するには根拠がなくてはならず、農産物検査法というまた別の法律に規定されている検査を受検することが条件だ。農産物検査を受検していない場合、それがコシヒカリだと明らかに分かっていても、コシヒカリと表示すれば違反になる。

 さて、JAS法は、その改正法が2002年7月に施行された。内容は、罰則の強化だ。特に違反業者名の公表は、迅速化された。以来4年半。JAS法に基づく表示違反によって公表された違反業者名は、すでに80件近い。こんな品目はJAS法のどこをどんなふうに引っくり返しても存在しない、ダントツである。それほどコメでは表示違反が多いのだ。
 にもかかわらず、コメの表示違反なんてそうは聞くまい? 公表は80件弱でも、報道がほとんどなされていないからだ。もちろんコシヒカリ表示の商品にササニシキが混ざっていても人は死なないし、食中毒にもならない。

 でもね、オレ、これって結構大変なことだと思っている。

 例えば、すげー高級な商品があったとする。作るにはそれなりに技術やコストがかかる。当然、最終的な価格は高くなる。そこへ、もっと簡単に作れてコストもかからない原料を使って、最終的な価格をほんの少し安くしてやれば、売れて儲かる。差益が大きいからだ。明確な違反だが、人も死なないし食中毒にもならないから放っておく?

 そうだろうか?

 この状態を野放しにしておくと、やがて本物の高級商品を作っていた側がもたなくなってきちゃって、退場してしまう。すると世の中には、不当に高い差益を儲けるニセモノだけが横行することになる。高い→高級、安い→低級というごく単純な価値観が、知らないうちに、緩やかにひっくり返るわけだ。

 緩やかな価値観の転倒は、恐ろしい。

 例えば戦後、天皇が人間を宣言したときには、急激な価値観の転倒があった。それは確かに衝撃的だが、少なくとも目に見えているし、ショックから立ち直ることができれば人間は何とか耐えていけそうな気がする。
 でも、目に見えない、緩やかに進行する価値観の転倒は、ある種の洗脳のようなものだ。
 いつのまにやら世の中の価値観は緩やかに転倒し、生命を軽んじるようになった。自殺が増えてる。殺人が増えてる。人を平気で罵る。気遣いがない。挨拶しない。

 もちろん、価値観を統一しようなんて云うつもりはない。そんな世界、まっぴらだ。でも、どっかで、こうしたズレを修正する必要はないか?

 そういう意味で、今オレは、ちょっと戸惑っている。

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