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2009/06/08

吉川英治記念館

 吉川英治、というと、「宮本武蔵」や「三国志」を思い浮かべる人が大半だろう。オレもそうだ。しかしこの人、実は作家になる前は様々なジャンルの作品を書いていて、その一部を雑誌や新聞などに投稿していた。そのなかに新作落語の台本、というのがある。

 もちろん世に出てはいないものだが、それならばいっそ高座にかけてしまえ、となった。

 場所は東京・青梅市の「吉川英治記念館」。噺家は真打ち、柳家禽太夫。

 吉川英治は昭和19年、東京・赤坂から青梅へ個人疎開していた。戦後もそのままいつづけ、実に昭和28年まで済んでいたそうな。吉川英治自身、この青梅の屋敷を「草思堂」と名づけていたのだとか。これが現在の「吉川英治記念館」である。

 4月18日。いってきた。

 ともかく遠い。JR中央線を立川で乗り換え、青梅線へ。青梅からさらに30分。ようやく二俣尾駅に到着。ここから野を越え山を越え(ほんとよ)歩くこと15分して吉川英治記念館にたどり着くことができる。
 客層は明らかに高齢。ぱっと見渡したところ、恐らくオレら夫婦が最年少とみた。

 噺は、前座が1席。柳家禽太夫が2席。うち前半が吉川英治作品で、残る2席はいずれも古典。この柳家禽太夫という人は、吉川英治夫人の姪の娘婿――要するに遠縁にあたる人物だ。

 吉川英治作品は、「弘法の灸」という。

 噺の冒頭は、ちょうど「芝浜」の冒頭に似ている。
 腕はいいが怠け者の大工が、奥さんに発破をかけられている。今日こそはと詰め寄られ、仕事に行かない理由を亭主が語ったところによると、今年の正月、大工仲間にそそのかされて、やったこともないのに見よう見まねではしご乗りを披露したところ、案の定身体を痛めてしまった。本人が云うには「こう、肩から背中から腰のあたりまでがじわーっと痛い」。それで仕事ができないんだと。
 奥さんの応えて曰く「なんでもっと早く云ってくれなかったんだい。今はもう4月だよ」。聞くところによると浅草のほうに、弘法大師も真っ青なえらいお坊さんがいて、そのお坊さんがお寺でよく効くと評判のお灸をやってくれるそうな。何でも一度すえただけでどんな痛みだろうがたちどころに消えてしまうすぐれもの。「ひとつ行ってきちゃどうだい」と。
 で、亭主は浅草の寺を訪ねるのだが……という噺。

 まず、本来古典落語というものは、長い年月をかけて様々な人々がアレンジにアレンジを加えることによって、「噺」として成立してくるものだ。したがって新作落語は、その過程を一切略しても大丈夫なほど、噺にパワーと破綻しないプロットが必要になる(古典落語の半分は噺としてつまらないものだが、そこは噺家の腕、絶妙な枕と間によって噺たりうるようにするのだ)。しかるに大作家・吉川英治といえど、落語は素人。しかも作家になるはるか前に書かれた作品となれば、落語としての高い完成度を求めるのは所詮はなから無理な話、ではある。
 すると噺家の力量が重要なのだが、この柳家禽太夫という人、へたくそもいいとこ。これで真打ち、しかも金語楼(現・小さん)から名前を譲られた人物とは――柳家もよほど人材不足とみえる。
 何せまったく噺に引き込まれないばかりか、肝心な展開のとこでカミやがるのである。

 オチはさほど悪くないので、枕を厚く、途中の展開を矛盾ないように改めた上で、最低でもカまない噺家で再演希望。

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