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2009/06/17

華氏911

 5月17日、レンタルDVDにて鑑賞。いきなり低い評価で恐縮だが、これを果たして(エンターテイメントとしての)「映画」と呼んでいいのか悩み抜いた末での評価である。

 云うまでもなく本作は、ハリセンボンの太ってるほう……じゃなくマイケル・ムーアが監督したドキュメンタリー作品で、そこに描かれるのは9.11事件を契機としたブッシュ政権への批判だ。当時「ブッシュの再選を阻むため」制作したことを、本人が公言してはばからなかったが、実際には再選されてしまったのは周知の通り。

 内容には触れない。内容の大半は大抵の人が知っているはずの事柄ばかりだから。それよりもオレは、マイケル・ムーアという人のアプローチの方法にこそ興味がある。

 まずタイトルだ。原題はちょっと表記が違うがほぼそのまんまの「Fahrenheit 9/11」。スラッシュが入っていることで、原題は9.11を意識し、邦題はモジリ元を意識していると云えるか。云うまでもなくこのタイトルは、レイ・ブラッドベリ「華氏451度」(Fahrenheit 451)に由来している。あるいはその映画化作品、フランソワ・トリュフォーが監督した「華氏451」(原題は同じ)に由来している、と云うべきか。この有名な作品を万が一知らない人のために云っておくと、ブラッドベリの「華氏451度」は、書物の所持や読書が禁じられた近未来世界の物語。かつての消防士が焚書士(英語ではともにfireman)となっている皮肉な世界を描いている。華氏451度、すなわち摂氏約233度とは、「紙が燃え出す温度」だ。これにあやかったか、本作が公開される際、日本でのキャッチコピーは「それは自由が燃える温度」だった。
 ブラッドベリは「SFっぽくないSFを書く作家」だし、トリュフォーのSF嫌いは有名。そのくせスピルバーグの「未知との遭遇」に出演しちゃうあたりが面白い。このトリュフォーは故人だが、ブラッドベリは存命で、本作に対し「了解もなしに、数字だけを変えて題名を使った」を非難している。ムーア自身は「『華氏451度』に敬意を表してタイトルを使った」と云っているが、敬意を表するんなら了解はとるべきだわな。やっぱり。

 次に、手法なのだが…。いや、これって映画でやる意味あるの? 要はブッシュやラムズフェルドがいかにアラブと石油利権をめぐる密接なつながりがあったかを暴き出し、その不当さを告発しているわけだが、そういう行為を「映画で」やることに、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。TVでも新聞でも書籍でも、メディアは問わないが、よりにもよって映画というメディアを選んだのは何故だ?(消去法として残ったのだとしても同じことだ) 様々な妨害はあったにせよ、この種の映画を公開できるアメリカという国の懐の深さには、かなりな羨望をおぼえる。加えて云えば、同じことを他のメディアでやろうとしなかった、できなかったアメリカのメディアとは何か。決して関係のない世界に住んでいるわけではないオレとしては、戦慄を感じてしまうのだ。
 ムーアは、どこへでもアポなしで突撃取材する。何かそれがカッコいい。カッコいいのか? もちろん巨悪を暴くため多少は強引な手法も必要だが、そのためならば「人の嫌がること」でも許されるのか?「敬意を表するため」なら、他人さまの作品のタイトルを了解もなしにパクッていいのか?

 かつて淀川長治さんは、オリバー・ストーン作品を「映画ではない」と評したことがあった。理由は簡単だ。「映画作法に則っていない」「下品だ」である。淀川長治さん亡き今、オレは本作を同じ理由から、映画ではないと判断せざるをえなかった。

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