2009/09/30

革命ステーション5+25

 確か、いつぞや仕事で福岡へ行った際、往路の飛行機内で一気読みしてしまった作品。羽田の売店で買ったんだよな。確か。福岡空港で読破してしまった。

 後で知ったことだが、映像化作品のノベライズだそうだ。それもTVや映画ではなく、インターネットの携帯サイト専門の配信(auのLISMO)。なるほど、そういうメディアもありうるのか。

 素人同然の5人の新人女子アナを中心に、地方のTV局が反乱を起こす話。もちろん架空の話だし、何に気を遣ったのか「放送省」なる架空の役所まで出てくる始末なのだが、とにかく話に勢いとパワーがある。オチのつけ方もなかなか。これなら映像化作品を観たいと思ったが、企画が堤と聞いて気が変わった。きっとフザけてるに違いないから。

 文章力はなく、実に稚拙なんだが、パワーと勢いだけで読ませる展開。たまにこういうのがあると嬉しくはなるね。

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2009/09/21

警官の血

 佐々木譲著。

 ごめん。すっかり忘れてた。今年2月7日・8日の2夜連続で放送されたTV朝日系列SPドラマ「警官の血」の原作である。

 あのときはドラマを褒めたが、原作を読んでからにすべきだった。本作に比べればドラマなど子ども騙しに属する。何が違うって、何もかも違う。原作の「これは残しておくべきだろう」エピソードを削除し、「これはいらんだろう」エピソードを残し、「なんじゃそら?」というキャラクター・エピソードを新設している。何より本作は壮大なフーズ・ダーニットになっているのだが、ドラマでは最初から犯人があからさまで、ホワイ・ダーニットに集中している。まぁ、それでも3代続く警官の系譜が面白いからいいのだが。

 ドラマでもそうだったが、「谷根千」(やねせん。谷中、根津、千駄木のあたりを総称してこう云うそうだ)といった、オレにとって馴染みの深い場所が舞台になっている。ついでに自宅の近所あたりも。
 JR鶯谷駅前というと迷路のようなホテル街で、かつては大久保・池袋と並ぶ立ちんぼ(街娼)のメッカだった。今でも数少ないながら深夜になると見かける。その歴史は驚くほど古く、吉原の出店期(湯島もそうだ)まで遡るそうだ。その頃から鶯谷は色町で、出入り口付近に数多くの呑み屋が軒を連ねていた。――と、本作に出てくる。

 ほんまかいなという思いがあったのだろう、酔った帰り、山手線を途中下車して歩いてみたら、確かに一杯呑み屋が狭い範囲に軒を連ねていた。うち飛び込んだ一軒には、今でも行っている。

 本作とは、妙な因縁があるものだ。

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2009/07/23

「コメほど汚い世界はない」

 吾妻博勝著。宝島社刊、B6変判、252ページ、1,238円(税別)。

 人間は、どこまであさましくなれるのだろうか。

 日本の米をとりまく生産から流通まで、さらに行政も含めて、ありとあらゆる「汚い世界の話」の羅列が本書である。
 しかし……意図したものか、それとも無知なのか知らないが、1つ1つの事例は事実であっても、時系列や対象が異なる事例を混同させることによって、あたかも汚い世界の話であるかのように「演出」しているにすぎない。
 「すごくよく分かっていて、あえてそうしている」のか、あるいは「全く取材が足りておらず、単に自分の思い込みだけでそうしてしまっている」かのどちらかだ。どちらであっても大差はない。何故なら表面に出てくる罪は同じだから。
 文章力もさしたることはない。話題はあっちいったりこっちいったり。ただ、1か所だけ、妙にうまい描写がある。農政事務所の課長が女を抱くシーン。ここだけ妙に生々しい。褒められるのはそこだけだ。

 こんなものを恥ずかしげもなく刊行し、人様から金銭をかすめとるなど言語道断。詐欺に等しい。

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2009/07/21

「シカゴファイル2012」

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 中村靖彦著。NHK出版(日本放送出版協会)刊、B6変判ハードカバー、363ページ、1,700円(税抜き)。

 一言で云って、「なんじゃこりゃ」なシロモノ。

 著者は元NHKのディレクターで、解説委員を最後に退社。現在は東京農大や女子栄養大なんかで客員教授を務め、あちこちの審議会に委員として名を連ねる人物ではあるのだが、ハッキリ云って感心させられたことは一度もない。正直云ってこれは、NHK出身者に対する共通した認識である。あくまでもオレの主観だが。
 この人、何冊も本は書いているらしいのだが、あとがきによると「初めて小説を書いた」そうな。ただし「これが小説と言えるとすればの話だが」とも云っている。その通り、これを小説を呼んでしまったら、世の作家たちの大半が暴動を起こすに違いない。申し訳ないが、小説になっていないどころか、説明文にすらなっていない。もうちょっと日本語の、というか、お話の構成というものをお勉強していただきたい。そのくせ自ら傾倒している分野にはくどいほど主観が入る。まったくもって冷静やら客観やらいう単語とかけ離れた世界。それで面白いんなら得心もいくが、決定的につまらないのである。

 タイトルは貿易商社、豊野通商の食料部における過去50年間の記録の名称。2012年をメインに扱っているのでこの名がある。
 穀物相場の高騰、日本の米政策の混迷、バイオエタノールやエコフィードといった旬の話題を織り交ぜつつ、話は日本国内の食料不足へと向かっていく。主人公はとりたてておらず、強いて云えば群像劇ではあるのだが…。

 もったいなくはあるのだ。題材は非常にいいものを拾っている。にもかかわらず、それを活かすことができるだけの文章力と構成力に、決定的に欠けている。アイデアだけ出して、誰かプロに文章を依頼したほうがよくはなかったか。素人でももっとうまく書けるぞ。

 こんなもんに1,700円も払うなんて、カネをどぶにすてるようなもんだ。どぶにすてたやつが云ってんだから、こんな確かなことはあるまい?

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2009/07/19

「日本の農業は成長産業に変えられる」

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 大泉一貫著。㈱洋泉社刊、新書判、222ページ、760円(税抜)。

 本書をめぐって、amazon.com にレビューを投稿した。採用されないかもしれないので念のため以下に引用しておく。

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犯人は誰だ

 日本の農家ってのは、あらゆる意味で貧しくてかわいそうな、残念な存在だ――未だにそんなふうなイメージを抱いている人って、結構多いのではなかろうか。
 そうじゃないんだ、すげー頭が良くって商売が上手で、成功例(ビジネスモデル)だってゴマンとある――本書の前半はそうした成功事例の「洪水」だ。仮に「農家」というのが、「あらゆる意味で貧しくてかわいそうな、残念な存在」と定義するなら、本書の前半で多様に登場する方々は、もはや「農家」とは呼べない。著者は「農業経営者」という単語を連発する。シャッチョーさん、なのである。何せ説得力があるのは、そうした成功事例を、例外なく著者が彼ら農業経営者本人に会って収集しているからだ。

 ただ、そうした成功事例は、残念ながら「点」にすぎない。故に一般の方々のイメージが、「あらゆる意味で貧しくてかわいそうな、残念な存在」になってしまっているわけだが、著者はそうした「点」の事例を、「線」から「面」へと拡げていくことができれば、「日本の農業は成長産業に変えられる」と主張するわけだ。非常に楽観的で前向きな主張ではあるが、前述した「成功例の洪水」は、確かに楽観的になっていいだけの説得力を有している。

 だがしかし、現実にはそうなっていない。何故か。本書の後半は、その謎解き編である。

 成功事例を点から線、面へと拡げていくためには、どうしても総体としての農業政策、特に米政策を変えていかなければならない。いや、何も著者は、農業経営者たちをどんどん甘やかせ、保護しろ、などとは主張しない。支えていかなければならない側面もあるが、そこは最低限に抑えて、むしろ自ら成長していく環境づくりが必要だと看破するだけだ。
 しかし現実の農業政策はというと、徐々に変わってきつつあるとはいえ、一言で云えば保護主義一色だ。今の農業経営者たちが「あらゆる意味で貧しくてかわいそうな、残念な存在」である農家ではない、などということは、何せプロなのだから農水省の役人だって分かっているはずだ。でも農業政策は未だに「かわいそうだから助けてあげよう、支えてあげよう」の思想がベースになっている。
 一体全体なんだってこんなことになっちまっているのか。こりゃミステリーだ――こっから先は本書を読めば分かる。そう、実は本書は、タイトルだけ聞くと何だか堅そうに見えるかもしれないが、謎解き本でもあるのだ。

 農業経営者には自ら元気を出すために読んでほしいし、農業と縁のない方々には日本農業が抱える最大のミステリーを解き明かす書籍として読んでほしい。もちろん(自覚はしてないだろうが)こうなっちまってる原因となっている「犯人」たちにもね。

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 なんで投稿したかというと、本人に頼まれたからだ(笑)

 大泉一貫さんというのは、←左側のリンク先の1つにもある。この方、東大出身で、現在は宮城大学の教授。こないだまで事業構想学部長だったが、今年4月、副学長を兼任するようになった。

 確か8年くらい前、仕事でお会いして以来、何度となくお話をうかがったり呑んだりしてるのだが、お名前自体はもっと遙か前から存じあげていた。農業・地域経済、特に農産物流通、もっと云えば米穀流通の世界では、かなり有名な人物だ。今となっては貴重な人物だとも云える。
 こう云っては申し訳ないが、特に東大閥の農業経済学者は、今や人材不足も甚だしい状況にあると云っていい。かつては様々な「有名人」がいて、あちこちの審議会に委員として名を連ね、気を吐いていたものだが、例えば農水省が人選に苦慮するほど人材不足となってしまった。なかでほとんど唯一と云っていいほど元気なのがこの人だ。
 歯に衣きせぬ発言は、特に物議を醸すこともあるが、そこがまたいい。某団体と仲違いしているかのように見えるが、一方的にいきりたっているのは某団体側のほうなのであって、本人は(少なくとも表面上は)あまり意に介した様子を見せない。
 こういう人は貴重なのだ。

 最も近しいところでは、6月24日の夜に赤坂で呑んでいる。もっとも、その2日後にも顔を合わせているのだから、本当に純粋な呑みだったと云っていい。というのも、2日後の6月26日、まさしく表題の著作の「出版記念パーティ」があったのだ。

 大泉さんの著作は、これで8冊目だが、本人曰く「出版記念パーティなんて開いてもらったのは、8冊目にして初めて」だそうな。開催の経緯を、24日の席で聞かされた。何でも、発端は地元のNPO法人が「還暦祝いを」と奨めてくれたことに始まるのだとか。「オレそんなの嫌だからさ、最初は『還暦にもなってないのに』って断ってたんだ。年が明けてからまたやりましょうよって云われたんで、今度は『誕生日過ぎちゃったよ』って逃げた。ところが、どっから聞いたのか、オレが新書を出すって話を聞きつけて、『なら出版パーティにしましょう』ってことになったんだ」。

 6月26日の夕刻、場所は仙台市内のホテル。仕事を早めに切りあげて新幹線に飛び乗ったオレは、一路仙台へ。会場に着いてみると、さすがに見知った顔に出会わない。かろうじて元代議士と、某プロモーション会社の社長くらいか。
 大泉さんは「出版記念パーティってのも恥ずかしいからさ、職場(大学)からの参加なし。あくまでオレの友人を集めようってことになったの。あんたもそうだよ?」とおっしゃる。ところが「どこからか情報が入って、『俺に知らせないとは』っていう声も多くなっちゃってさ。調整には苦労させられたよ」。

 オレは確か本書を、池袋の書店で購入したはずだ。そんとき所在が分からなくて店員に探してもらったんだが、在庫が7冊あった。こういう類の本にしては売れてるらしい。

 先日いきなり大泉さんから電話をもらった。仕事関係の四方山話が主だったが、「amazon.com に書評を書いてくんないかな。どうもあとちょっとで増刷にこぎ着けそうなんだ」と切り出された。こちらとしては「公式に名乗って書いちゃうと職業的に問題がありますんで、ペンネームで良ければいいですよ」と返事し、「でも私なんかが書いても増刷への後押しにはならないと思いますけどねぇ」とは付け加えておいた。
 昨日アップしたんだが、そのときにはamazon.com で「一時的な在庫なし」状態だったから、ひょっとしたら本当にオレなんかが後押ししなくても増刷になったのかもしれない。やれやれ。

 云っとくけど、それでも職業は伏せたまんまだかんね。

 まぁ増刷は別にして読んでみてよ。

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2009/05/19

容疑者Xの献身

 仕方ないので再読。

 オレの大嫌いな東野圭吾作。ただし作品そのものは正しく評価されねばならず、その意味で本作の完成度が高いことは論を待たないだろう。

 一時期(今でも終わっていないそうだが)本作をめぐるジャンル分けという無意味な命題で論争があったが、それはキモチわるいマニアどもが勝手にやっていればいいことであって、オレのような下々の者には理解不能である。

 さて今回、本作を読み返したのは、云うまでもなく本作の映画化作品の出来が良かったためだ。その出来の良さが映画制作者によるものか本作によるものか、判然としない。何せだいぶ前に読んだので憶えていないのだ。

 結果、まぁこれは事前から容易に想像できたことだが、双方に軍配。もともと媒体が異なるのだから、それぞれに優劣があってよく、互いの優劣を求めるべきものでもない。映画の評価については後述。

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2009/05/18

流星の絆

 仕方なくハードカバーを購入。やれやれ。

 読んでみて分かったことは、クドカンがいかに驚くほど原作に忠実に脚色していたか、ということ。多少エピソードの順番や内容を入れ替えている「やむをえない側面」がありはしたが、原作-脚色という体は崩していない。

 もちろん予想通り中島美嘉は登場していなかったが、尾美としのりまで登場してこないのは驚いた。

 結果的に両者を見比べてみると、しかし全く別の作品でもあることが分かる。明らかに3兄妹のキャラクターだけでグイグイ押しまくる原作、「お話」で括ろうとするドラマ。原作は余韻を残して終わっているが、ドラマのほうは、変な表現だが折り目正しく終わらせている(ラストのエピローグなんかがそうだ。普通に考えれば蛇足なのに、全体を俯瞰してみると必要だったことが分かる)。

 ただ、では先に原作を読んでいて、オレがドラマ化したいと望んだかというと……うーん。よく分からんな。

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2007/09/07

小説「こちら葛飾区亀有公園前派出所」

 別に「こち亀」の小説版、ではない。そうではなく、まぁテーマ・アンソロジーとでも云えばいいか。要するに、「こち亀」をモチーフに、7人の作家が短編集を書いたらどうなるか、という試みだ。それだけなら面白くもなんともないが、本作が特徴的なのは、7人の作家が持つそれぞれのオリジナル・キャラクターを、「こち亀」登場人物(主に両さん)と「夢の共演」をさせていることだ。
 石田衣良が「IWGP(池袋ウエストゲートパーク)」シリーズのマコトを、柴田よしきは花咲慎一郎を、それぞれ両さんと共演させ、逢坂剛は御茶ノ水署を訪ねる公園前派出所の3人を描き、京極夏彦は南極夏彦と大原部長を共演させた。なかなか面白いアンソロジーだ。

 なかでもハマッたのが、大沢在昌版こち亀だ。そう、もちろん新宿鮫こと鮫島と両津勘吉が相対するのである。
 話は、大したことない。正月の浅草で起こったちょっとした揉め事を、鮫島と両津があっという間に解決してしまう、ただそれだけの話だ。登場人物は、新宿鮫チームが鮫島(新宿署生活安全課に務める〝墜ちたキャリア〟)、晶(鮫島の恋人でロック歌手)、藪(新宿署の鑑識係。弾道検査では神様のような存在で、鮫島の数少ない理解者の1人)の3人。こち亀チームは両津とその母親。これだけだ。これだけなのだが、特に新宿鮫を一度でも読んだことのある人なら、なかなかニヤリとさせられる内容になっている。特に晶の名字は一度でてきたことがある(『無間人形』で鮫島が晶の泊まっているホテルに所在確認をする際、一度だけ『青木さんは…』と訊ねている)が、藪の下の名前は初出ではないか。しかも藪と両津の関係が……ゴニョゴニョゴニョ。

 新宿鮫の短編というのは、実は他にもある。オレは一度読んだことがある(このときは鮫島が単独で出てくるが名前の表記がない)。こういうのを重ねていって、一度短編集でも編んでほしいもんだが、果たしていつになることやら。

 小粒だが面白い逸品だった。

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2007/05/01

夏への扉

 ロバート・A・ハインライン作。何度読み返したか分からない傑作中の傑作。久しぶりにまた読み返してしまった。

 (もはや)「古典」SFの世界には3大巨匠というのがいる。「われはロボット」や「ファウンデーション」シリーズなど、主に歴史観というか大局的な作品を得意としたアイザック・アシモフ、「2001年宇宙の旅」など緻密な科学的考証に基づいた、まさしくサイエンティフィック・フィクション(昔SFはこう呼ばれた)が多いアーサー・C・クラーク、そして最後がザッツ・エンターテイメントのハインラインだ。ところがヒネクレ者のオレは、当初これらのいずれにも傾倒しなかった。当初から3大巨匠の存在は耳に入っていたから、そこを敬遠したのだろう。オレが傾倒したのはフィリップ・K・ディック(原作とはまるで異なるが映画化作品が多い。例えば『ブレードランナー』、『トータル・リコール』、『スクリーマーズ』)で、これは「王道」SFからすれば邪道と云っていい。
 だが、本来オレはエンターテイメント好きなので、結局は3大巨匠作品も読まざるをえないところに追い込まれた。いやもぉ、それまで我慢してたのが堰をきったように、高校生くらいになってから読みあさった。3大巨匠それぞれ好みがあってどれがどれとは云えないところがツラいが、ハインラインはその高いエンターテイメント性に魅かれた。後に反戦と好戦、あるいは右翼と左翼など、その思想性をめぐって物議を醸すことになるのだが、オレが魅かれたのはエンターテイメント性だ(思想性と作品世界とを分けて考える行為は、すでにディックで体験済みだったのだ)。
 にもかかわらず、ハインライン作品で映画化されたものは数少ない。オレが知っている限りでは「宇宙の戦士」くらいだ。原題そのままのタイトル「スターシップ・トゥルーパーズ」として公開されたが、後のガンダムその他に影響を与えたパワード・スーツも出てこなければ、強力な軍事思想も除外されており、オレには単なるホラー映画としか見えなかった。
 こうしかケースは不幸な事例かもしれないが、本来ハインライン作品は実に映像化に向いていると思っている。例が少ないのが不思議でならない。

 さて本作は、そうした思想的なものとも無縁な作品であり、エンターテイメントに徹した作品であると云っていい。SF的なアイデアは、作品が発表された当時ですら目新しいものではなかったが、何よりストーリー展開が実にハラハラさせられる。ほんの少し読み始めただけで、もう主人公・ダンの目線になっており、ともかく前半はずーっとダンがひどいメに遭い続けるものだから、歯がみしながら見てるのだが、後半から怒濤のごとくダンが起死回生に至るところなんぞは、実に爽快きわまりない。
 SF的なアイデアが目新しくないとは云ったが、最初に読んだときは「やられた!」と思ったものだ。コールドスリープ(冷凍睡眠)とタイムマシンの組み合わせ。なるほど、こういう手段もあるのだ。舞台設定が1970年代と2000年代を行ったり来たりするだけだから、後のハインライン作品などと比べてスケールが小さいと云われればそれまでだが、それだけに地に足のついた舞台設定とも云える。

 今回ひさしぶりに読み返してみて感じたのだが、ともかく翻訳が古くさい。福島正実(SFマガジン初代編集長)ではなく、今ではもっと新訳もあるのだろうが、福島正実訳版でも十分脳内補完しうるレベルだけに、逆に云うと原作の懐の深さを示すものかもしれない。

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2007/02/15

推理小説

 秦建日子(はた・たけひこと読む)による去年のCXドラマ「アンフェア」の原作。ところがドラマと原作では全く異なる。いや、オレ途中で観なくなっちゃったんでよく知らないのだが、その後、断片的に観ていた(例えば最終回は観た)ところからすると、そもそも(ここだけネタバレ)犯人が異なるし、原作よりドラマのほうが圧倒的にドンデン返しの回数と死体の数が多かったような気がする。こっちゃそのアタマがあるもんだから、「え? これで終わり?」と肩すかしをくったような感じ。
 話は警察や出版各社に送られてくる小説の通りに殺人が行われるという、プロットだけ考えれば手垢のついた筋。違うのは、続きを読みたければカネを出せと「入札」を持ちかける件りか。
 何も原作が悪いというわけではなく、こういう原作をドラマ化するんならもっと重層的にしてやろうと工夫した結果なのだろうから、原作をケナすよりドラマを褒めるべきなんだろうが。少なくとも、もっぺんドラマをDVDで見直してやろうかという気にはなった。

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